偽りの仮面を脱いで・・・


こうあるべきだ

という姿が

本当にそうなのか


人はたまに疑問を持つ


違うな…私はそうじゃないな…と

なんとなく分かりながら

でも、「私」で生きたら

社会適応できないなぁ…

まずいよね…

仕方ないなぁ…

なんてことをしていくと

後で自分が分からなくなる


こうだよね

こうしたら満足だよね

でもそれをやるのはイケナイ気がする


だって私はこういう人

こういう人であるべきなのだ!


べきな自分は

決して品行方正な姿とも限らない


自分はこういうニンゲンで間違いないんです

変えようがないんです という姿かもしれない


子供の頃に社会適応しようと

一生懸命やり過ぎると

大人になっても修正が効かない

修正することさえ思いつかない

だってこれが私だ!ってことになっている


子供の社会とは育った環境

子供の力で抗える環境とは思えません!

故に何とか適応しようとする

私を閉じ込めて

適応を果たしていく


私って誰だろう・・・


本来持って生まれた私はどこに行ったのか?

モトイ

本来持って生まれてきたのかどうかも自信がない・・・

もしかしたら本来自分はこんな人なのか?


私たちが記憶って言ってることは

言葉で構成されている

ノンバーバル・非言語的な記憶は

身体の「感じ」でしかない

故に

「記憶」というカテゴリに入れてない

言葉のない頃の自分が

分からないと考えても仕方ないかもしれない


自分の言葉で自分を騙していないか?

自分の言葉で言い表せれば納得するのか?


記憶を辿って事実を知ると

スッキリするかもしれない

その後は?


私はこうやって生きてきた

なるほど納得

その後は?


私が生きにくいのは

あの時あんなことがあったから

その後は?


子供の頃の出来事で

自分にとっての

世界と自分の関係が決まったかもしれない


それはとても残念なこと

それはとても不公平なこと


まず そういう自分に気づいておこう


でも、できれば少しずつ・・・


社会適応して生き抜いてきた仮面を

少しずつ脱いでいく

鏡でみたら

見たことない自分の顔が現れるかもしれない

ちょっと怖いかもね…ここにも気づいておこう


少しずつやめる

いつか全部になる