あなたの中に自分の存在を感じられないということ


若者のクライアントから感じることは

私の若い頃と違って

自由に自分を表現し始めると徹底的にする

ということだ

しかし、そういう表現は滅多に見せない

たとえ気の置けない仲間の間でも見せないこともあるらしい

自分の真の姿と表面の姿が違う

そういう相反したこころのバランスの悪さが

彼らを苦しめているように思う



私の若い頃は

自分を律して、自立し社会人として立派に生きる

ことを目標に育てられていたと思う


没個性の時代と言っていいかもしれない

出る杭は必ず打たれた

打たれないとしたら

打たれないくらい出ていなければならず

相当な高さに出ることで「神童」扱いになり

その道をすくすく生きていく

差別、区別、没個性の世代である


だからある程度の孤独感は

自分で耐え忍び、どうにか折り合いをつけていく

そのまま年齢を重ねて難なく生きるか

ある年、多くは40代後半に無理が高じて

自分探しを始めて迷うに迷う

あるいは力業でねじ伏せていくか

どれかだろう




今の若者の中に見つけるのは

自分の違和感を感知できる特性というもの

ナニカ変だ ナニカ違う

そんな感じに敏感な人が多い

しかし、ここから先がうまくいかない

多くは違和感を否定して

みんなと一緒になろうと努力してしまう


自分は自分だが

自分は自分で生きることはできないだろう

のような諦めもあるように思う


仲の良い友人達の付き合いでも

ナニカこれは本当の人間付き合いではなく

社会で生きていくためにこうしているという

冷めた感覚もあるのではないだろうか


相手の内側に自分を感じない


上っ面の人間関係であって

仲が良いとしている友人にさえ

自分と本当に付き合っているという確信がない

それ故に自分の本当の姿を出せないでいる


あなたの中に自分の存在を感じられない


ということは

結果的に自分が分からなくなる

映すべき鏡がないという状態である

自分の本当の姿と思っているモノと比べる対象がない

いつまでも自分が曖昧のまま

アイデンティティが確立されない


今の若者の苦しさ

自分がわからない

ということは

自分に対しての敏感さと

他者との関係の希薄さから生まれてくる


鏡になる誰かの存在で

彼らは自分を分かっていくことができる

そういう大人も必要だと思う

大人にも大人の責任がある

若者に文句を言って満足し大人ぶるのが

大人の自律と言えるのかと

自戒を込めて言っておこう