私のことを少しだけ


好きなものは好きでいい

と言えればかなり楽である

好きなことを好きといえない時間が長すぎて

好きなことって何だっけ?

のような・・・

自分の好きは誰かの好きなことらしい

子供の頃のある時まではそんな感覚だったな…と


写真・ルームに集まってきたちょっとパワフルな仲間たち



親の趣味で着る服はピンクばかりだった

正直言って嫌だった

自分で買い物に行ける年齢ではなかったので

仕方ないというより

選択の余地がないのである!

残っている写真が白黒で良かったと本気で思っている


ある年齢までは

アダルトチルドレン的に生きていた

家族の不幸は私の不幸

全ての原因は私にある

私が我慢すれば良い

私が何とかしなければ…と


しかし、ある時本当に腹の底から

違う!

と思い、根っこではやめている


私は私でしかないんじゃないか

別に誰かのために何かしなくてもいいのではないか

何故自分ばかりこんなことを考えないといけないのか

不公平だ 

これは世を忍ぶ仮の姿であって本当の私ではない

きっと 本当の家族がいつか迎えが来るはずだ

と・・・

「逃避」した結果

内面的には相当難しい子供になっていったが

外面的には普通の子供を装い・・・社会適応

自分の存在を消しながら生きていく・・・独自のコミュニケーション法

という

器用なことをしているかなりマセた子供になっていった


小学生の頃の話しです


こんな子がカウンセリングに来たら

困るだろうな…とも思う


こういう子供は結構いるけれど

①大人になるとこんなことは忘れてきちんと大人になり社会適応していくタイプ

②本当の自分は素晴らしい万能な人間であって周りが分かっていないだけという

幼児的万能感を持ったまま大人になって病的に自己愛が強くなるタイプ


いずれかと言われている

私は①かな…

根っこが冷めた子供だったので

自分が大人になったら全部解決するに違いない

もう少しだから頑張れという

自分𠮟咤激励という稀なタイプかもしれない


親に気を使い、親の面倒(物理的にも、精神的にも)をみて育つと

こころが不自由で自分を生きてない感じが生まれてくる


好きなことを好きと言えない

人間関係が依存的になるか、そもそも作れない

不安が私であるという思い

モノが決められない、決めるということを避ける

自分が好きでないしわからない


私はこんなことを理解したいが故に

心理学を学び続けているだろうと思う


生きにくさには原因がある

自分の生まれつきのタチばかりではない

必要以上に自分を痛めつけなくても良いのである

人は自分に戻れるハズだ

そういう方法があるハズだ

生きにくかった自分が崩れなかったワケはなんだろう・・・



私の場合

子供のクセにこころの力が半端でなかったし

器用で要領がよく、更に空想癖がある

要するにズル賢いガキだったが故に

こんなにしぶとく生きてきた気がする


自分に合った自分の生き方が出きればいいのではないか


という考えが

仕事のベースにある


生きにくさをスッパリ解決するのは難しい

生きにくさを抱えながら生きていける力を養う考え方も

選択肢のひとつ


そういうのも 有りではないかと思うのです


写真についてはまた明日にします

自分の中には力がある

それを発揮できるアイテム・アミュレット・お守り

についての考察


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