たましいのエッセンス 一番最初の記憶


みんな私のことを言っている

どうも私はみんなをがっかりさせたようだ

何故?


一番最初の鮮明な記憶はこんな感じ


あかちゃんコンクールで優勝できず家族でがっかりした

ということがあって

その時の風景が覚えていることとほぼ同じだった

後々分かって驚いた


言語獲得以前の記憶であるから

受け取った感覚だけを覚えている

言葉を覚えた時点で言葉として書き加えられて

益々強化されたのだろう・・・

これを思い出すと、まだ少し「痛い」


私は私であってはならないような・・・

私は人をがっかりさせる人のような・・・

こんな思いが浮かんでくる


正直言って

これに振り回されていた若い頃はキツかった


絵画コンクールで入賞しても

バレーボールの大会で優秀選手に選ばれても

テニススクールの上級クラスに入ったとしても

仕事で結果を出しても

嬉しいとは思えない

褒めてもらっても、称賛されてもこころには響いてこない



どうせ・・・また、みんながっかりするんだろうな・・・



頭ではこんな言葉が駆け巡っている

根拠はないし、あとでがっかりすることもない

周りは好意的で褒めてくれるし、労ってくれる

しかし・・・

私の世界では、私は全くのダメ人間なのある


私個人の中で起こっていることだから

現実の評価は当てはまらない

良くできた人と言われても

逆に苦痛にしかならない


自分らしくしたらロクなことにはならない

自分がいるからロクなことになっていない

根源的な自己否定感を持っていた


こんな時の身体の感覚は

あかちゃんコンクールの場面とよく似ている

言葉にはできないけれど

「あ・・・やっちゃった・・・」感満載



一番最初の記憶は「人生の鍵」



交流分析流の発達心理では

一番最初に「これだ!」となった場面を

プロトコルシーン(原点)と考え

自分と世界、他人との関係性や

自分は「こういう人」であり

「こういう生き方をする」の確信ができると解釈する


その確信を何度も確かめながら

強化し続け人生をいきていく

ネガティブな確信を持っていたら

生きにくいであろう


と他人事のように書いているけれど

私は本当に生き難かった


単純に

「私はこーーーーなのーーーー」

と毎年咲いている花にはなれない

私はこーーーなのーーー

なんて感覚があるのか無いのかわからなかった



人は自分がここに居ないとき

ここに居る自分を否定しなければならないとき

自分を無き者にする時

生きていく希望を見出せない


自分が何だかわからない

何処へ行きたいのか

何をしたいのかわからない


そもそも

自分が自分であってはならないと決めていることがわからない


生きにくくて当たり前

むしろ 

よくもまぁ・・・ここまでそんなこと続けてきたもんだ

私も捨てたものでもない と思えればいいね・・・


一番最初の記憶

一番古い夢

何度も思い出す小説の一説・映画のワンシーン


こんなことに人生の鍵があるかもしれない

思い出す必要がある

紐解く必要がある

もう一度感じてみる必要がある


たましいのエッセンが香ってくるかもしれない・・・





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