「怒り」って悪いのか その2


こころの仕事をする者には立脚する理論がある

その立ち位置によって

「怒り」についての捉え方が違う

良い・悪い、正・誤、という事ではなく

クライアントにとっての向き・不向きはあるだろう


あのカウンセラーが良いという紹介でいってみたら

「全然だめじゃん!」

なんてことはある

支援者と支援される方の相性もある



「怒り」は2次的感情である

その立脚点に立っていると

元々のネガティブ感情が怒りの下にあり

元々の感情の段階で処理できれば

怒りの噴火は起こらないと考える


悲しみ 不安 羞恥心  寂しさ  不甲斐なさ 

などの感情を探して感じるトレーニングをする

人間関係を損ねないよう無意味に感情を爆発させない

自尊感情を低下させない

のような効果があるとしている


「怒り」という感情で自分の生活に悪い影響があるなら

チャレンジしてみたらどうだろう

怒りんぼ と言われる

頭にきて、またやってしまった

つい感情で押し切ってしまいがち

心当たりがある方に向いている



さて、心理学にはいろいろな考え方がある

「怒り」が本物の感情だとしたら

という立場だったらどう考えるのだろう


怒りを感じることに抵抗を感じる、

または私は怒りを感じないようにしている

怒るとはどういうことか分からない

怒らなければならないのに笑ってしまう、泣いてしまう

感情が動かない、真っ白になる


という訴えに対して

「怒り」を使うとロクなことがなかった経験が根底にある

と考える


ナニカの代わりに「怒り」を使うのではなく

「怒り」を封じ込めた生き方を選択したということ

だから「怒り」が起こると別な方向から現れてくる

一見、何もしていないようだが

「怒り」⇒「笑う」「泣く」「何もしない」

という積極的な行動をしていると考えることもできる


この立場のセラピストは

クライアントの精神的なシバリを緩めて

自分らしくあっていいと思えるように支援していく


私はこちらの立場で考えることが多い

身体で体験するワークを多く取り入れるのは

アタマの記憶は後天的に塗り替わることがあるが

身体に残っている感覚はいつまでも変わらず

癒す必要があると考えている




「怒り」を表すが能動的に対応する

「怒り」を封じ込めるのは受動的に対応する


そんな生き方を人生のある時に選択し

今では生き方そのものになっている

その方法だから、自分は生き残ってきた

と言えるかもいるかもしれない


しかし、今自分にとって負担であると思っていて

これはマズイ、気になっているとしたら

修正する時がきているのではないかと思う

そして、こころの準備もある程度できている

だから、気づく


「怒り」はエネルギーが大きい

自分の身を守る、命を守る時に使うこころの動きだから

そのエネルギーをポジティブな方向へ使えるとしたらどうだろう…


「怒り」は破壊するだけではなく

建設的な方向へ進む力になる

「怒り」は悪い感情ではない


もし、気になるのであれば試してみてもいいのでは…と思う