「怒り」って悪いのか その3


「怒り」は…

モトイ「怒り」という精神的状態が起こる時は

身を守るべき時なのである

自分の尊厳を守る時なのである

生命の危機を感じ取って力を使う時なのである

と、ここ二日ばかり連呼しております

怒り」って悪いのか? 5/31

「怒り」って悪いのか その2 6/1


「怒り」を感じて良いのですよ

出し方を間違わなければ表してよいのですよ

と説明しても

だって…

でも…

と躊躇する方はとても多いのです


ワーク中

「ここは安全です」

「あなたの秘密は守られます」

「今、私ができることは何ですか?」

と…私が声掛けするのは

感情を表出(出す)することが難しくなっている時



「感情」を出すことが危険 出したらアブナイ!


自分にとっても他の誰かにとっても

アブナイことでしかない

だから、感情を出さない

こういう無意識の人生における決定がある

更に無意識に

自分だけではなく人類全員に適用している


しかし、人生経験も長くなると

違う人もいる別な考え方もあると

アタマでは分かるようになる

私はダメだなぁ…

と過るのは人と比べるようになるから


感情は出せて当たり前、

出せないのはイケナイ


なんて声が聴こえると

余計にダメ感が強くなるかもしれない

100人いれば100通りだから

個性ということでいいんじゃない

なんてのは気休めの正解でしか聴こえない


さて、感情を出すのが危険という信念があって

これを人類全員に適用したとしよう

そうすると

私の感情は相手にとっても危険

ということになる

私のように傷つけたくないから私は我慢する

鏡に向った一人芝居と言っておこう


「投影」というこころの働きである


人はそれぞれに独自の価値観で世界を見ていて

他者を見る時にも何の疑いもなく

自分が思っている通り見ている


私が感情を出すのが嫌だから相手も嫌だ 

と無意識にそう思っているし、そう見える状態


確かに感情の表し方は難しい

表し方を間違えると誤解を招いてしまう

ここは学ばなければなるまい

(もし興味があるなら「アサーション」をやってみたらいいと思う)


しかし…

相手がどう感じるのかは相手しか決められない

何故、あなたが決めるのだろう?


ここは気づいておこう

相手の感情は相手が感じるもの

私が同じ場面で感じることと違うことがある

むしろ…違うと言って良い


そんなことを心配するなら

コミュケーションを磨いた方が良い結果がでる

私ならプラス「フォーカシング」も提案する

自分のこころの声を聴く姿勢を身につけた方が

ここから先にも役に立つハズ

我慢して押し込めるより

自分を理解して自分で労っていけばいい

自分を滅して悶々とするより

自分を律して気持ちよく生きる可能性を見たほうが

気持ちよいではないか


投影は自分で気づくのは難しい

「投影」のメカニズムを知っていなければ謎解きができない

こんな時はこころの専門家に聞いてもらう手もある

こころの専門家は病んだ時に行くところでもない

私のところに来てください なんてケチなことは言わない

こころの専門家は意外と近くにいると思う

悶々とし続けるより

行っちゃった方がいいと思う